バリ島移住の光と影:10年間の暮らしで見えたリアルな日常

こんにちは。神楽坂麗華です。

先日、小籠包を食べながらふと北京留学の時を回顧していましたが、その他にも私は2006年から2016年まで、インドネシアのバリ島で暮らしていました。夫が南の島での生活に憧れて「しばらく移住しよう」ということになったのがきっかけです。

10年という長い在住期間のうち最初の数ヶ月は、バリ島の中でも特に洗練された繁華街として知られる「スミニャック地区」のヴィラに住んでいました。

「バリ島のホテルのクリスマスデコレーション」

毎月通ったお気に入りのスパと、特別な出会い

スミニャックに住んでいた頃、通りの反対側に個人経営の綺麗なこぢんまりとしたスパがありました。そこには最初の数ヶ月だけでなく、その後のバリ島生活10年の間毎月2〜3回は変わらず通い続けていました。

そこにはトゥティという、私と同世代のマッサージが上手な方がいて、いつも予約指名して担当してもらっていました。最初はわからなかったインドネシア語も、施術中にトゥティとおしゃべりするおかげで、みるみる上達したほどです。

至福の90分ヘッドスパ

私の一番のお気に入りは「ヘッドスパ」でした。当時の金額で千五百円くらいという信じられないくらいの手頃さで、90分間の至福の時間を味わうことができたのです。丁寧なマッサージが終わった後も、髪を綺麗にドライヤーでセットしていただけるので、スパの後にそのままショッピングへ出かけるのも、いっそう心はずむ楽しいひとときになりました。

スパの後の定番コース:フランス風カフェと馴染みのストリート

スパの後は、必ず同じスミニャックにあるフランス人経営の「カフェモカ」へ立ち寄るのがお決まりのコースでした。ここで美味しいバゲットサンドを食べて、家族へのお土産にエクレアやレモンタルトを買って帰るのが定番の楽しみだったのです。

その近くには、観光客の方たちも愛用している「ビンタンスーパーマーケット」やハイクオリティなかごバッグで有名な「アシタバ」のお店もあって、歩くだけでもなかなか楽しい通りでした。

また、帰り道の途中には日本式スーパー「パパイヤ」もありました。私が滞在していた当時は、日本の食材がほとんど揃っており、お値段は張りますが「ここに来ればなんでも手に入る」という安心感があり、本当に重宝していました。

特にパンコーナーは、日本のパン屋さんを思わせる品揃えで、異国の地でホッと心を暖められる大切な場所でも有りました。

憧れの南の島。だけど「旅行」と「移住」は違った

スミニャックでの華やかなスタートから始まったバリ島生活でしたが、実際に10年間「暮らす」となると、旅行では見えなかった現実に直面することになります。実は私は、バリ島暮しの全てが好きだったわけでは有りません。

一番ストレスを感じていたのは「ゴミ問題」でした。南国の楽園というイメージとは裏腹に、環境インフラが追いついていない現実に、どうしても馴染めない部分があったのです。

また、暮らしを支えてもらう「お手伝いさん」探しも一苦労でした。なかなか相性が良く、しっかりとした仕事をしてくれる人に出会うのは、想像以上に難しい事だったのです。

さらに、バリ島には日本のような電車やバスがないため、移動にはドライバーさんを雇うことになります。一見贅沢に見えますが、自分が「いつ、どこで、何をするのか」という行動範囲あ全てドライバーさんにバレバレになってしまうのは、プライバシーがないようで、少し窮屈さを感じることもありました。

10年間の経験が教えてくれたこと

もちろん、悪いことばかりではありません。当時は現地の銀行金利がもの凄く良かったため、日本でお金を預けるよりも貯金が増えたという、生活者ならではのリアルな恩恵もありました。また、日本とバリ島を結ぶガルーダインドネシア航空のビジネスクラスはサービスも良く一時帰国の際のおもてなしは今でも素晴らしい思い出です。

海の側の素敵なレストランや、お気に入りのスパなど、自分だけの「馴染みの店」を少しずつ増やしていく過程は、何物にも代え難い豊かな経験でした。

「理想の楽園」も、暮らしてみれば一長一短。それでも、あのスミニャックの風や、トゥティの優しいマッサージの手の温もり、そしてフランス人が作るバゲッドサンドの味は、10年という月日を経た今でも、私の人生を豊かに彩る愛おしい記憶として心に残っています。

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